RAM-PAM-PAMを通じて考える『曲を演じる』ということ

SixTONESのデビュー前に勝負をした曲である「RAM-PAM-PAM」。
その振り付けに賛否両論生まれている。

肯定したい派であり、全くを持って嫌悪感を感じられなかった私は少クラ初披露から数日間悩みに悩んだ。


結果、アイドルを通した楽曲をどう受け止めるのかという価値観の違いであると考えると腑に落ちたのである。


というのも、楽曲というものはそれを歌う人によって色を変える。

それは、歌い手自身の解釈や人生観、または感情を込めて歌うか否か、、
その一つ一つの細かな差で変化する。

自作で曲を作っている人なら持ち曲への感情の込め方は一定であろう。

しかしながらそうならないのは「歌詞やメロディーを作った人のもの」から歌い手へと託すことで「みんなの表現ツールの一つ」へと変化するからだ。制作意図や想いなどは完全にトレースできない。



アイドルが歌う楽曲は、そのほとんどが提供されたものであるので、その楽曲の表現方法は自由に解釈し、パフォーマンスするのがアイドルの仕事であろう。


その表現とパフォーマンスをどう捉えるかが今回の争点であると考えている。


私は、アイドルは歌う曲をその世界観を演じていると考えている。

アイドルのパフォーマンスはその人から生まれるものであるが、曲の世界観を演じている部分が大いにある。
アイドルは恋愛をすることをよく思われていない。しかしながら、歌う曲は恋愛の曲はかなり多い。それは、アイドルとは偶像であり、そして愛を語り合う私たちの代弁者であるからだ。
「あなたを大切にする」「愛している」……このような歌詞がありながら、彼らが実際に愛する人に言うことは嫌悪されている。

この矛盾を孕みながら歌い続けるのがアイドルなのだと言えるであろう。


いわばこの歌詞で歌で「誰かを愛すること」を演じているのだ。
見えない・知らない「あなた」を愛する役を演じているのだ。だからこそ受け入れられる。


また同じように、ミュージカルが好きな私は好きな女優さんがどんなにビッチな女の子の役でも、好きな俳優さんがどんなにクズ男な役でも、その歌詞や表現が共感できなくとも、「役だから」という理由で受け入れることができる。


一方で、切り離して見ることができない人は、おそらく「○○くんがこんなことをしている!」と素直に受け取っているのであろう。それもまたアイドルの楽しみ方ではあると思うが、もしそれでつらくなっている人がいるのであれば、一度切り離して見ることをお勧めしたい。

今回のこの新曲への感情は、その『演じているパフォーマンス』をどこまで彼らと切り離してみられるかで変化してくるのだ。




私は完全に彼らは曲を演じていると考えているので、どんなにセクシーなパフォーマンスをしたところで彼ら自身の品が損なわれるとは思わないし、嫌悪感は抱かない。


RAM-PAM-PAMの曲の世界観を表現するためにあのパフォーマンスを取り入れたのだと思うのが自然だし、ジャニーズでは珍しいことをすることで話題になってほしいという思惑があるのも伝わってくる。




なにより、賛否両論があることを予め考えられなかったわけがないので、これは彼らが表現者である以上、越えなければいけない様々な壁への挑戦なのであろう。
アイドルのままで別のステージへと進む彼らの強い意志を感じるのだ。


今一度、歌詞やインスト、そして音に乗る彼らのリズムに身を任せて感じてみることで新しい見方が出来るかもしれない。