SixTONESのダブルセンターに対する雑感

アイドルグループにおけるセンターとは、いわばそのグループの顔であり代表とも言えるであろう。
それがパフォーマンスの要なのかビジュアルの要なのか、はたまた他のメンバーの精神的支柱になるのか。それによってそのグループの強みや武器が変化する。


また、昨今のアイドル文化においてメンバー構成が奇数人のグループが安定する、売れると言われている。

つまりそれは通常、1人に拠る。

しかし、それは諸刃の剣かもしれない。
1人をグループの真ん中に固定することはグループの印象そして売り上げをその1人に託すということに変わりはなく、重圧で押し潰してしまいかねない。勿論批判も受けることがあるだろう。そして他のメンバーから孤立する可能性も。


しかしながら奇数の5人グループでありそれを回避したまま売れたのが嵐と言えるだろう。誰がセンターでも良いグループ。嵐は度々そう評価される。


ただ、マーケティングの面では固定のセンターは必要とも言える。"故意に"固定センターを無くすということは一方で「誰もセンターにそぐわない」ということになりかねないからだ。

グループの華はいないよりはいたほうがいいし、そういう圧倒的なメンバーはいるだけでグループを一気にメジャーに引き上げてくれる。
橋本環奈がいたRev. from DVLなどがその一例だろう。

それは奇数人で効果が発揮されるとも言える。上記に当てはまるグループが偶数人グループの場合、立ち位置等で無理やりセンターにするなどの工夫をしているが、それは大人数だからできることであり4人グループや6人グループでは1人だけを目立たせるのは至難の技であろう。


つまり、ダブルセンターにする場合、1人だけが目立つ状態ではそのセンターが持つ力を十分に発揮できるとは言えないのだ。



ダブルセンターが光ることは至難の業だ。

他のメンバーよりもセンターに相応しく、そして同じパワーバランスを維持する2人がいなくてはならない。

それは一朝一夕で完成するものではない。

性格も相性が良くて同じくらい歌やダンスが上手く、ビジュアルも甲乙つけがたい2人を組ませることができるくらいに人材が潤沢な事務所はないであろう。あったとしても一人一人にグループをあてがったほうが良いグループを多く量産できる可能性もある中でその賭けには出ない。

となると、すでに完成されたグループの中で構築していくほうが現実的である。

それがSixTONESだ。



SixTONESがバカレア組と呼ばれていた時期、雑誌やメディアではドラマのメインである森本慎太郎松村北斗が中心であり、一方で少クラではジェシー京本大我が中心であったように思えた。しかしバカレア組が解体されてジェシー松村北斗が少クラやその他公演でも中心に。(その他のメンバーは2人の周りにもいなかったが……)

その後グループ名がつきSixTONESが結成されてから現在まで精神的支柱はジェシーであるとメンバーが話しており、またパフォーマンス面ではジェシー京本大我が中心であることは公然の事実である。


しかし、SixTONESはすぐデビューとはいかなかった。
私たちには理由の全てがわかる日は来ないだろう。

でも私はジャニー喜多川氏がSixTONESをデビューさせようとしたきっかけの一つがこのジェシー京本大我のダブルセンターのバランスの成熟度にあると考えている。


例えば、ハモリがあったり2人で掛け合いのように歌っていくパターンの楽曲での2人が織りなす歌は最高にマッチしている。

これは今より幼いときから同じクオリティというわけではない。勿論、個人でのスキル向上もあるのは百も承知である。
しかしながら、彼らが長い時間をかけて2人で歌うことに重きを置いて練習してきた功績なのではないか。
長年の関係性から生まれるハーモニーなのではないか。
互いの性格、歌う時の癖を十分にわかり合っていて、そして何より音楽に対する信頼がその歌声を生み出してるのではないか。

この2人が音楽という確固たるもので結ばれているからダブルセンターとして偏りなく隣り合い、ひいては6人全員が横並びできるグループなのだと私は思う。

そしてジェシー京本大我が音楽で互いを信頼しているように他のメンバーもまた互いを信頼しているからこそ、SixTONESは高いレベルで歌のパフォーマンスを維持できているのではないだろうか。



音楽でダブルセンターが結ばれているSixTONESは、音楽で愛させてくれるアイドルグループだ。